ミスリードの可能性

下の記事のマキューアン「未成年」について、twitterでとても深く読み込んだ感想を見つけた。読んでみたら、なんと、私ものすごく、この作品の一面のみを見てただけだったのでは???と恥ずかしくなってしまった。  

具体的にいうと「フィオナ」というバリバリ働く女性が、大人になりきれない部分を抱えつつも仕事に専念している姿に「わー、がんばれー!」と応援していただけだったのである。  

それだと少年アダムと出会うことの意味、かすれるよね。

フィオナ側の視点のみで物語が進んでいくのをそのまま読んでしまったのが敗因(笑)らしい。最後にフィオナが泣きじゃくるのは、もっと多面的に読んでいないと理由がわからないなあ。確かにわかってなかった。  

  

物語の空気というか、雰囲気というか、それがすべてとても美しくて大好きなだけに、笑えるほど間抜けな誤読をしていたことに気づいて背筋が凍ったのでありました。  

  

でもまあ、何か読んだり見たりして、「で、あれはどういうことなわけ」って検索して答えをすぐに知れちゃう時代だからこそ、誤読って逆に輝きを増すのでは? なんてね。

誤読しても小説はとても楽しかった。別に恥ずべきことではないんだろうけど、私の読解力っていつになったら育つのかしらと残念な気持ちはぬぐえません。

 

向き合うことをやめない、くらいしか、本質に近づく道はないんだよねえ。