とにかくフィオナが良い - 『未成年』

本当に久しぶりに読んだマキューアン。何度も何度も「こんなに上手かったっけ?」といい意味で困惑しっぱなしでした。60歳にきて初めて夫婦の危機を迎えた女性裁判長、家族ぐるみでエホバの証人に所属しているが故に輸血の治療を拒否する17歳の少年。ふたりの登場人物に対するマキューアンの暖かい眼差しがそこかしこに感じられて、読んでるうちに「私もマキューアンさんに見守られたい…!」なんて羨ましくなってしまった。彼の小説には、登場人物への愛がよく感じられます。

裁判所で家庭内問題をあれこれ裁くかたわらで、自分がそもそも同じような危うい状態にいる、というのを繰り返し思い出すフィオナ。子供をつくるチャンスがなかったことや、子供をひとり犠牲にするような判決を出してしまったことなど、うまくいってない時に限って目を背けていた嫌な部分をどんどん積み上げて、自信をなくしてしまう。
それでも業務にまったく支障をきたさず、冷静に仕事をこなす「デキる女」の彼女がふとした瞬間に「夫の温もり」を思い出し、喪失感に襲われる描写がとてもよかったのです。
具体的にいうと、朝、目覚ましに完全に起こされるまでに夫に包まれていたことを思い出すシーン。どんなに立派な大人でも、そういう甘えたいっていう子供のような欲をしっかりもっているのかもなあ、なんて微笑ましくなる。

実はこの作品を読んだのは、ダンケルクで主演をつとめたフィン・ホワイトヘッドがこの作品で撮った映画で17歳の少年・アダム役をやると知ったからだったりします。なので当初の目的は繊細な少年を演じるフィン君をひたすら想像する…だったのですが、フィオナがとっても素敵でかわいくて切なくて、序盤ですっかりフィオナのファンになってしまいました。キャスティングされてないのに、勝手にジェシカ・チャステイン様で想像してました(彼女が実年齢より上に見えるので…)。とてもよかったです。チャス様がバリキャリを演じる「女神の見えざる手」、ぜったい観に行きます。

という感じでフィオナの描写だけでとても楽しんでいたので、アダムがそこに加わったときの神々しさには圧倒されました。マキューアンの小説でだいすきな「贖罪」では、幼馴染2人が初めて愛を分かち合うシーンが眩しいくらいに美しいハイライトなんですけど、「未成年」ではフィオナとアダムが病室で出会うところがそれだった。キラキラしすぎでは?ってくらい完璧。そのうえ、そこで流れる音楽がアイルランド民謡でイェイツの詩がついた「サリーの庭」なのです。アイルランド民謡ほど情緒をゆさぶる音楽もそうないと思っているのに、それをアダムがバイオリンで弾くのである。そしてアダムはホワイトヘッドが演じるのである。
いろいろ面倒なことが起こったけれど、フィオナにとってアダムは救いだったと思う。夫が不在の間を支えたのはアダムだったから、戻ってくると同時にいなくなったんじゃないかな。なんて。

マキューアン先生お得意の超絶リサーチ能力と考察も堪能しました!判例の数々がみっちりしているし、エホバの証人についてもすごいし、裁判のシーンの弁護の内容から判決の引用文まで、すごい説得力でした。特にアダムの件は複雑だったから、親の権利とアダムの権利、宗教への敬意を損なわずに下したフィオナの判決にはまいった。 普通なら裁判長って遠い存在で、いつでも的確に冷静な判決が下せる仕事マンのイメージでしか出てこないけれど、ここではフィオナのあらゆる思い、後悔に寄り添っているので、その孤独さがわかるわけです。その上での判決だったので、余計にグッときました。どれだけフィオナを好きになっているのか…… 大好きな物語になりました。


それにしても「サリーの庭」映画で聴けるのが楽しみです。