揺れるわたしをみる

性格のコンプレックスにがんじがらめになって、解決策を求めて本など開いてみると、救いの言葉というものがないことがわかる。
「そうよねえ、私もできんのよ」と共感するタイプのエッセイか
「ありがとうって言いながら暮らしましょう」と突き進む自己啓発本
「悩みを持ちながらなんとか毎日をすごせてるってことがバランスをとるということである」みたいな、その手の専門家の本。

とくにタイプ3は読んでもスッキリしないから抗いたくなる。昔はとくに本を読んだ気にならなくて、より分かりやすい答えを探して別の方向をむいたりしていた。そして分かりやすい答えはだいたい自己啓発本にあるのだが、実践するとまあ続かないわけで、また自己嫌悪に絡め取られるのである。

最近は、やっぱり前みたいに分かりやすい答えを探していながらも、その「割り切らずになんやかややり過ごし明日を迎える」ということが正解のようなものなのだろうなあ…と思えるようにはなってきた。
毎日はむかつくし、私に悪いところが山ほどあるし、避けてる問題は渦になって心のどっかにあるのだが
それでも壊れないでどうにか立っているというのは、もう「そういうもの」とでも言うしかない、人のあるべき姿なんだろうな。

河合隼雄さんと谷川俊太郎の「魂にメスはいらない」を読んでいてそんなことを思った。

毎日生きてるのは多分なんてことないんだけど、たまに思いっきり褒めてやりたくなる。ここに書くまでもなく、黙って褒めればいいのだ。そういうモードに針が振れるときは、平時と比較してはいけない。

感情やモードの揺れの振り幅の大きさはどうでもよくて、全体でみてバランスがつりあってれば悪くはないんじゃないかな
「自分を統合する」ってそういうことなんだろうな それが楽しいかというとまったくそうではないが