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豊潤語

ブログもSNSも自分のノートとは違う。ことばの存在のありがたさが変わってきてしまいます。このツールを使っているとむしろ一度覚えて使っていた言葉を忘れてしまいそうになります。言葉など話せなくても生きていけるけれど、自分が飽きてしまう。死ぬまでまだ結構ありそうなので私は私が飽きないようにしなければ。言葉はリッチに存在してほしい。
大詰め − う〜ん

ダンサー・振付け師の山田うんさんの言葉が密かに好きである。文章が押し寄せてくるというか、大量の言葉が短時間で一気に吐き出されているようなかんじ。それでいて興奮しているわけではなくて、一回体力を使い果たした後、回復を待ってから書かれているようにも思える。
ダンサーの第一言語がまさに「踊ること」であるならば、うんさんは日本語への翻訳がうまいと思います。いつもとてもユニークな言葉を読めるのです。ありがたや。

「言葉はリッチに存在してほしい」

今回の共鳴フレーズはこれ。ぼんやりと私も思い続けていたからです。うんさんは自分が発する言葉に対して「リッチでありたい」と書いていると思うんだけど、私は読む文章に対して、特に思います。
本来、文章って情報が伝達できれば目的は達成されているものですが、独自の表現を伴うものだったり、凛とした品位が感じられるものだったりを求めたくなる時があります。昔から、そういう文章で書かれたものを読むと「息ができている」と感じるんですねえ。
同時に自分にもそのような文章を書けることを望みますが(笑)、ともかく、自分が深呼吸できるような、素敵な文章を書くお気に入りの書き手がいるというのは幸せです。
いろんな分野でそんなひとをたくさん見つけなくてはいけない。

そんなことを考えるということは、それほど雑な文章で溢れているということでもある。手軽に表現できるツールが増えれば、言葉の扱い方が雑になるのも仕方ないことですね。最近特にうんざりしているのは、何か検索すると、どこかで得た情報をコピペしているようなまとめサイトばかりヒットするということです……イメージ写真ばかり貼り付けて何かとページ数を稼ぐあれです……Yahoo!知恵袋もトップにあがってきますね。このようなノイズをいかに避けるかというのは、今後とっっっっても大事になってくるでしょう。