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人生を「生きて」いるか

book

徳の実践こそが幸福に至る理想の生き方である、と説くのがストア派。こういう簡略化した文章は、じっくり本を読み通したあとで初めて理解できますね。高校の倫理の授業では無理だったなあ……。

ストア派セネカさんは、思考の出発点がすごく世俗的。周りの入念な観察を経て、身近な人々を思い浮かべながら「こんな人たちでも善く生きるにはどうしたらいいだろう?」と実用的な道を模索しているのがよいです。あと翻訳読みやすくて有難かったです。

暇は潰すな

「人生の短さについて」ではいかに人々が時間の浪費に無頓着であるかを嘆きます。仕事漬けの人、娯楽や他人につきあうことに時間をささげる人…それらはみな時間を投げ捨てている。多忙な人は「人生を生きている」とは言わず、「そこに在った」だけである、と(辛い)。
また、そのように多忙な人は暇な時間に耐えることができない、とも。

比較的、一人遊びは得意な方だけど、たまに暇で仕方なくて、パーっと気分を盛り上げる何かをしたくてむしゃくしゃする時があります。その場合、誰かと出かけるとか、何かを消費するとかが特効薬になるんだろう。でもそれは、遊びたくて遊ぶとか、消費したいものがあって買いに行くとかではなくて、「暇を潰す」ことが主目的になっている。暇の有意義な過ごし方については、よく考えます。 ツイッターやテレビを惰性で見ているときも「ただ在るだけ」のような怠い感覚があります。そこでハッと気付いて止められるか?何をしたいかわからずダラダラしていると、セネカにこう言われます。

このような者は暇のある人ではない。彼には別の名前をつけたらよい。彼は病んでいる。いや、死んでいるのだ。(p37-38)

お前はすでに死んでいる というセリフが2000年前にすでにあったとは……

お天道様が見てるという精神で

「心の平静について」と「幸福な人生について」では、運命に期待し、隣の芝生ばかり羨む人がいかにして自己嫌悪に陥るかという心のメカニズムをずばり解き明かしています。「私のことかー!!」と何回叫んだか……。ここでも、今でいう「人類爆発しろ」みたいなヤケになった考えがすでにあることが分かります。人類、全然進化してないですね。

幸せに至る道を考えるとき、セネカが強く戒めるのは「人の模倣をするな」。

人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。最悪のものだという証拠は群衆なのである。(124)

とまで言ってしまいます。これを実践できるかどうかが鍵じゃないだろうか。周りがそれを是とするから従うのでは自分で考えていないですもんね。

そういう観察から生まれた思考によって、「徳の実践、理性に基づく行動こそが大事」という思想にいきついたんですね。お天道様が見てる、というのは神様じゃなくて自分自身のことでもある。自分に褒められるような自分でいよう、という意識が大切なんだなあ。